日本には「ベッドは硬い方がいい」「ベッドは硬くないとダメ」「柔らかいベッドは腰に悪い」という言説が昔からあり、誰もがこの類の言葉を聞いた事があるのではないだろうか。
もちろん、悪くはない。柔ら過ぎるよりは硬い方がいい。「迷ったら硬め」というのは万人に適用されるマットレス選びの数少ない原則だ。
ただ、客観的に見たら明らかに柔らかめが向いている小柄な女性、しかも本人が「今のが硬い気がするんです」と言って新しいマットレスを買いに来ている、という状況で最後の最後に「やっぱり怖いんで一段階硬めにします」などと言われてしまうケースが珍しくないのを見ると、いったいどんな呪いが掛けられているのか?とさえ思ってしまう。
かつて主流であったボンネルコイルなどの連結コイルや、フランスベッドの高密度連続スプリングというのはバネどうしが繋がっているが故に、それ自体を柔らかくし難いという特長がある。繋がっている=網状である為、普通に柔らかくしてしまうと極端に言えばハンモックのような状態になってしまう。
だから、逆にトランポリンのようにピンッと張った状態でなければ身体を適切に支える事ができない。
だから、どうしても寝心地は硬くなり、身体の凹凸にフィットさせる為にはクッション層の力に頼らざるを得ない。
これは現代において主流であるポケットコイルとの決定的な違いである。
ポケットコイルはバネが一つ一つ袋に入って独立して動く為、バネそのものを硬くも柔らかくもできる。コイルの背が高くなればそれだけストロークが増すので荷重に対する守備範囲が拡がるし、ゾーニングすればコイル高が高くなくてもある程度の部位別荷重に対応できる。
問題はこれが一般大衆に広く受け入れられるようになったのはこの30年である、という点だ。
1950年前後からの40年、市場において圧倒的強者であったのはフランスベッドである。
そして、その40年はそのまま日本のベッド文化の歴史でもあるのだ。
元々は畳に布団を敷くのが当たり前であった時代から徐々に、実に40年という長い時間をかけて、ベッドを広めていったフランスベッドの功績は讃えるべきではある。
だが、そこにあったのは純粋に寝心地だけを追求した姿勢であったかどうか、そこには疑問を持たざるを得ない。
なぜなら、当時主流であった連結コイル構造は、その特性上「高い張力によって面として支える」以外に成立し得ない構造であり、設計上の制約として寝心地は必然的に硬質な方向へ収束する。
つまり、「硬い方が良い」という価値観は、必ずしも人間の身体にとっての最適解から導かれたものではなく、当時利用可能であった技術の制約から導かれた“実装可能な解”に過ぎなかった可能性がある。
さらに言えば、病院やホテルといった公共性の高い空間において採用され続けたことにより、その寝心地は「無難であること」「誰にでも破綻しないこと」が優先され、個々人の身体差に最適化されるべき本来の寝具の在り方とは異なる基準で標準化されていった。
その結果として、「硬いベッド=正しい」という認識は、技術的合理性というよりも、歴史的経緯と制度的要請によって強化された“文化的規範”として定着していったのではないだろうか。
そしてこの規範は、構造的には全く異なるポケットコイルが主流となった現在においても更新されることなく残存し、個々人の身体に適合しない寝具選択を引き起こす一因となっている。
それはまるで「A型は几帳面である」といった類の言説にも似ている。
もともとは一定の経験則や観察に基づいて語られ始めたものの、やがて検証されることなく単純化され、文脈を失ったまま一般化された結果、あたかも普遍的な真理であるかのように流通している。
「硬いベッドが良い」という言葉もまた同じだ。
本来は条件付きでしか成立しないはずのものが、その前提を失ったまま広がり、今では誰に対しても適用される“常識”として扱われている。
その結果、本来は柔らかめを選ぶべき人までもが、自分の身体ではなく“言葉”に従ってマットレスを選んでしまう。
目の前で「硬い気がする」と言っていた人が、最後の最後に「やっぱり怖いので硬めにします」と言う。
その瞬間、選ばれているのは寝心地ではなく、過去に刷り込まれた“正しさ”である。
もしそうだとすれば、現在のマットレス市場は、構造としては自由を手に入れているにもかかわらず、意思決定のレベルでは未だに連結コイルの時代から抜け出せていないのではないだろうか。